浅川地下壕へ行ってきた

ぼくは神奈川県の北の外れにある都市に住んでいます。戦時中、この都市には軍のいろいろな施設があったそうです。戦後はそれら施設の多くが米軍に接収、再利用されました。現在も市内には米軍基地が存在しています。接収されなかった施設は、まとまった土地だからか民間に払い下げられ、学校や病院、公務員宿舎などになっています。

ぼくの通っていた中学校は、陸軍軍病院や駐屯地の跡地で校庭の一角には石碑がありますし、近くには戦車の性能を検査するのに使ったとわれている尾根道「戦車道路」が今も残っています(桜の名所になっている)

通っていた高校は陸軍通信隊駐屯地の跡地で、その後、米軍病院になり返還された土地の一部に建てられていました。

返還されたり、払い下げられた土地に当時は残っていた遺跡は、だんだんとその姿を消していることもあり、先日、市立博物館で戦争遺跡を巡るというイベントが2週に渡り開催されました。1週目は市内の遺跡を巡り、2週目は隣八王子市にある、大規模な地下壕を見学するという内容です。

実はこのイベントに申し込んだのは、この地下壕に入ってみたかったからなのです。以前、旅行で長野県へ行った時に、松代大本営跡を見学した事があり、似たような地下壕が高尾にあると知ったのですが、なかなか見学する機会が無かったのです。

松代大本営跡

松代大本営跡跡は、長野県長野市にある広大な地下壕跡です。戦争末期に本土決戦のために海岸から離れた場所に建設され、皇居、大本営の移転のために計画されました。詳しくは、wikipedia などを参照してください。

施設の一部は、一般公開されていて無料で内部を見学する事ができます。中には照明があり、ヘルメットは貸してもらえますが、足下はあまりよろしくないので、運動靴などで行った方が良いと思います。

浅川地下壕

ミシュランに載り近頃人気の観光地として注目を浴びている高尾山。その高尾山近くにこの地下壕がひっそりと存在しています。

地下壕は、松代と同じように、何カ所か存在していて、そのうちの1つを見学する事ができました。下にマークした辺りの地下に地下壕が張り巡らされています。が、私有地なので普段は公開されていません。

今回は、「浅川地下壕の保存をすすめる会」の案内で見学する事ができました。

地下壕というと防空壕のような物を想像しがちですが、この浅川地下壕はとても大規模で長野県にある松代大本営跡に次ぐ規模だそうです。

上でも書いたように松代大本営跡は、大本営の機能移転と皇族の為の避難地として建設されています。

浅川地下壕も同様に当初は司令部の移転地として建設されたそうですが、立川にあった中島飛行機株式会社の工場が米軍の空襲にさらされるようになり、その疎開先として使われたそうです。ちなみに、この地下では零戦のエンジンなどが作られていたそうです。

外から眺める

高尾駅から1kmほど歩いたところに、地下壕の入り口がありました。先ほど書いたように私有地の中にあるため、道路からは入る事ができませんが、入り口を覗く事はできます。

この茂みの中に、鉄格子があり、入り口を覗くことができます。

近寄ると・・・・

危ないので、鉄格子がはまっています。

いよいよ中へ

先の穴では無く、別な入り口から入ります。保存をすすめる会の方からヘルメットを貸していただきました。

中はヒンヤリと涼しく、まるで洞窟のようです。中には照明はありませんから、みんな懐中電灯を持っての入洞です。

ちょっとモタモタしていると、みんなとはぐれてしまいます。

実際に入れるのは、全体の極一部で、ずっと奥の方まで穴は続いています。以前は、もっと奥まで入れたそうですが、こういう場所には、犯罪者などが逃げ込んだりする事があるそうで、警察からの指導で鉄格子がつくられたそうです。

戦争が終わって73年。その間に、天井からの石灰成分を含む水が、鍾乳石を作っていました。70年でこれしか成長しないのか!とビックリです。

一角にひっそりと東大の地震計が設置されていました。振動がすくない場所だから観測するのに都合が良いそうです。

興味深かった事

保存をすすめる会の方は、いろいろと面白いお話を聞かせてくださいました。メモをしていなかったので、あまり覚えていませんが・・・

  • 戦後は、キノコ栽培の場所として長く使われていた
  • 昔の子供は、通学の近道として使う事もあった
  • エンジンを作るのに使った工作機械は、賠償金の支払いの為に(?)すべて売却されてしまった
  • 中からダイナマイトが大量に見つかった(TV番組のロケ時に見つけたそうだ)

戦争終了後に、資料は破棄され、今では駐屯地の建物配置図すら存在しない。政治的な話云々は抜きにして、身近なところにある戦争遺跡は、残していくべきだし、正しく記録すべきだと思う。

そうしないと、忘れ去られた金山遺跡のように、いつ誰が掘ったのか分からないけれど、穴はそこにあるという状況になってしまうのではないか。

戦時中を記憶している方々が減ってきている今、このような活動を支えているボランティアの方々には頭のさがるおもいです。

浅川地下壕の保存をすすめる会

解散後、「浅川地下壕の保存をすすめる会」発行の書籍を頒布されていたので、一冊購入した。

HomePageは移転していたようです。新しいHomePageは、こちら

HomePageがあると書かれているのでアクセスしてみると、2017年12月に期限が切れ、ドメイン屋に取られてしまっているみたい。なんだか残念な感じですが、InternetArchiveには残っていたので、リンクを貼っておきます。
https://web.archive.org/web/20160304130024/http://asakawatikagou.jp/

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