丹波山村に、グリーンロードという森の中の遊歩道があります。
あまり山に慣れていない人には、1時間もかからずに歩けるお散歩コース
もう少し歩きたい人には、高尾天平へ登頂する2時間くらいの山コース
が整備されています。
今回は、グリーンロードの軽い散歩道コースを歩き、その途中にある、「源太川遺跡」へ行ってきました。※源太川遺跡は、柴金を採取した跡だそうです。
村営釣り場~民俗資料館 (赤いTrack)
グリーンロードで検索しても、詳しい情報は見つけにくいので、以前に紹介した冊子を入手するのが手っ取り早いのですが、先日のめこい湯へ行った時には既にすべてはけていて、のめこい湯には在庫無しと言われました。コピーした簡単な地図は、のめこい湯と道の駅でも配っていました。
村営釣り場に車を停めて、駐車場から1分で登り口です。最初だけ階段で、登り切ればあとは平坦な道なのでゆっくりと行きましょう。
グリーンロードの入り口には、地図があるのでよく見ておくといいでしょう。
当日は雨上がりだったこともあり、ジメっとしていましたが、乾いた季節ならばきっと気持ちのいい遊歩道にちがいありません。
ゆっくりと10分?15分?歩いたでしょうか。小菅村へ通ずる峠道の県道18号線沿いにある民俗資料館の所にでました。坂を登るとローラー滑り台、坂を下りると村役場方面です。
村役場方面へ少し降りると山の方へ入っていく舗装道路が・・・素直に下ってもつまらないなという事で、その細い道を高尾集落方面へ探検です。
丹波山村へは何度も来ていますが、砂金採取だったり、登山だったりで、ゆっくり歩いたことはありませんでした。が、こんな高台があったのか!道の駅と村役場と丹波川が眼下に広がり、風が気持ちいいです。
その高台から降りるとスタート地点の村営釣り場はすぐそこでした。
源太川遺跡へ (緑のTrack)
さて、それではいよいよ源太川遺跡へ向かうグリーンロードに入ります。
村営釣り場から上流側へ歩き橋の手前付近から山側へ階段を上がります。
登りはこの階段だけで、その後は平坦な散歩道になっています。ちょうどこの写真の右側にあるキャンプ場の脇をずっと歩いて行きます。
少し歩いて行くと丁字路にぶつかります。左へ行くと山コース、右は「源太川遺跡」を通って橋を渡り奥秋の集落に出ます。行った日はジメっとしていましたが、普段はきっと気持ちの良い道なのでしょう。
右へ曲がると、先の方に看板が見えてきます。
「源太川遺跡」の説明板でした!
丹波川金山 源太川遺跡 戦国・江戸時代の砂金採掘跡
丹波山村南西部の船越山と芦沢山一体にあった舟越金山遺跡と、丹波川沿いにある不動滝遺跡、源太川遺跡、班や側遺跡などの総称を、丹波山金山遺跡と呼んでいる。
源太川遺跡は、丹波川が蛇行している奥秋の対岸の河岸段丘上、標高650mにある、源太橋の河原から比べて10mの高さがある。奥秋キャンプ場からこの地には、人工的な窪地が多数あり、源太夫という金堀がいたという伝承から、砂金採掘跡がハッヶんされた。丹波山村教育委員会・丹波山金山遺跡学術調査団は、平成14年(2002年)夏に、藪におおわれたこの地を草刈りし、測量調査と発掘調査を行った。採掘抗8ヶ所、水路上遺構3ヶ所、ズリ山1ヶ所、石組遺構1ヶ所を確認した。採掘坑はスリバチ状の経21m~7m、深さ3mの穴で、発掘した坑底の川砂から黄金色の砂金粒が出土した。導水した水路跡や石積みもよく残っていて、この採掘坑と水路などが芝金(ふるい川床の芝地にある砂金)を求めて穴を掘り、水を流して砂金を選鉱する「大流し法」でつくられたものと推定される。石組み遺構は祠などの基壇と推定され、近くには山の神を奉る祠が現存している。
砂金採掘遺跡の調査は、全国でも北海道美利河井関、岩手県猪川館跡に次ぐまれな例で、山梨県身延町大炊平金山遺跡や静岡市安部金山などにもみられる。丹波山金山遺跡は戦国時代(約500年前)~江戸時代中期(約250年前)頃に武田氏や徳川幕府の保護のもと金山衆により甲州金を産出した文化遺産として、著名である。
正直、全くわかりません。石垣はあるけど、そんなに古いの?遺構の跡もどこなのかさっぱり不明。芝金だから、石を拾っても自然金が付いている訳ではないでしょうし。テラスっぽい?けど、こんな地形は、龍喰やら大常木近辺にはたくさんありますし。
お散歩コースとしては、いいコースだと思いますけどね!
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